境界性パーソナリティ障害(BPD)を考える

境界性パーソナリティ障害に関するインターネット上の言説を整理しています。

境界性パーソナリティ障害にまつわるインターネットの風説の「功罪」

このブログは境界性パーソナリティ障害について個人的な意見で考えるブログです。特定個人の中傷を目的としたブログではありません。知識が必要な場合、専門の医療機関、書籍などを参照してください。特定個人の悩みについても、ここでは取り扱うことはできません。

今回は、境界性パーソナリティ障害に対するインターネット上での偏見について書いていきます。

境界性パーソナリティ障害に対する言説

境界性パーソナリティ障害についてインターネットで検索すると、沢山の言説が出てきます。中には、役立つような言説もあります。しかし中には「ここまで来ると差別ではないのか」というような言説もあります。具体的な言及は避けたいと思います。
勿論、そうした言説が、境界性パーソナリティ障害の方と関わった人がつらい思いをした上での、個人の経験から来ていることは間違いありません。しかし、個人の経験から得たことは個人の経験でしかありません。
やや「境界性パーソナリティ障害だから」という理由での「差別」や、「勘違い」「社会からの無視」が加速しているような気がしています。

インターネットにおける「境界性パーソナリティ障害」の2つのケース

思うに、インターネット上で「境界性パーソナリティ障害」「ボーダー」と呼ばれている方には、二通りあるような気がします。
すなわち、
①専門の医療機関を受診し、医療機関から「境界性パーソナリティ障害である」という診断を受けているケース。そして、
②周囲がその人の特徴から、「境界性パーソナリティ障害である」「ボーダーである」というレッテルを貼るケースです。

この2つのケースを混ぜて話すことはあまり良いことのように思いません。
②のようなケースは、そもそも単に「わがまま」「寂しがり」「甘えん坊」といった特徴に対して、大袈裟・あるいは差別的に「境界性パーソナリティ障害」「ボーダー」と周囲がレッテルをつけている、というような心ない用法が目立っています。そもそも、境界性パーソナリティ障害であると本人が公言しているケースはそう多くはないはずなので、多くの場合はこのような「レッテル貼りによる差別」であるのではないかと私自身は推測しています。

もちろん、②のようなケースでは、確かに「本当に境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たすものの、本人の自覚がなく、周囲のアドバイスも拒否するため、なかなか救えないケース」があるのは事実でしょう。しかし、①のように、境界性パーソナリティ障害であることの診断を受けているケースでは、本人がそれを「治したい」と思い、適切な改善を行っていければ、治っていくケースが多い事が分かっています(診断を受けても、治そうという意思がない・行動をしないというケースはまたやや別ですが)。

ですから、①と②のケースは全く違うものです。しかし、これを一緒くたに語り、社会から爪弾きにしてしまうことが増えてきています。境界性パーソナリティ障害で苦しんではいるが、改善しようと努力している人々に対して、過剰な苦しみを与えてしまうのはやり過ぎでしょう。

境界性パーソナリティ障害は改善していくものである」という言説は、あまり日本語での文献がありません。が、Quoraなどの海外のQ&Aサービスなどや論文を見ますと、「境界性パーソナリティ障害」は、日本とは非常に違った捉えられ方をしていることがわかります。例えば、境界性パーソナリティ障害の「弁証的行動療法」を提唱した心理学者のマーシャ・リハネンは、自身も境界性パーソナリティ障害であったことを告白しています(彼女の腕や手首には、火傷を含むいくつもの傷があります)。

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しかしながら、彼女は彼女のやり方で社会とうまく付き合っていくやり方を最終的に選択できました。何も心理学者や医者になる必要も、何かを告白する必要もないと思います。ただ、彼女のような例を見ていると、境界性パーソナリティ障害であるということは必ずしも社会から爪弾きにされなければならないということを示しているとは思えません。
また、境界性パーソナリティ障害の方でも当然インターネットを使いますから、自分のような人間がどのように社会から見られているか、ということについて、知ってしまうことになります。こうしたことを知ることは、症状を自覚し改善することにもつながりますが、同時に、いわれのない差別をされているという感覚を与える事にもなってしまいます。

例えばあなたが日本人で、海外に行った時のことを考えてみてください。海外のお店に入ったら、「日本人はお断り」と言われてしまいました。店主は、「日本人に昔嫌なことをされた。日本人を見たらとにかく逃げること。連絡をとらないことが大事なのだ」と言っています。どう思うかどうかわかりませんが、こうした対応に対して、「そういう迷惑な日本人もいるかもしれないが、すべての日本人が嫌なやつだと思うのは、理解が足りない。いわれのない差別である」と思うのであれば、境界性パーソナリティ障害の方が感じている思いが少しは理解できるのではないでしょうか。

境界性パーソナリティ障害の克服は、自覚から始まる

上でも書いたように、境界性パーソナリティ障害を改善していくには、まず自分のことをなるべく客観的に自覚し、「少し衝動的だったな」とか、「こんなことで傷つかなくていいはずなのに、なぜこんなことをしてしまうんだろうか?」という感覚を持つことが重要になります。そして、カウンセラーなどの専門家とよく話す機会を持つことです。

では、それを周囲の人が指摘すべきかどうか?ここが難しいところで、境界性パーソナリティ障害の方は非常に繊細で傷つきやすいという特徴を持っている方もいます。そうした場合には、人からの「普通の指摘」がかなり重いダメージになってしまうことがあります。ですから、できれば境界性パーソナリティ障害の方は「自分の何が社会とあわないのか」ということについて自分で気づく必要があります。

したがって、境界性パーソナリティ障害の特性を持つ方(または、そうかもしれない方)との関わりの中では、何らかの方法で、彼ら(彼女ら)に自分で気づいてもらうための「ヒント」を出していくようなこともひとつの手になるでしょう。

その辺りは、確かに普通の人間関係を構築するより大変かもしれません。「なぜそこまでやらなきゃならないのか」という思いを抱く方もいるでしょう。もちろん、「この人とは友達になりたくないな」「恋人としてやっていけないな」と思うことは個人の自由なので、連絡を断つことも個人の自由にしていいのだとは思います。

しかし、そうした人をインターネットで過度に中傷することはもう、必要ないのではないでしょうか。