境界性パーソナリティ障害(BPD)を考える

境界性パーソナリティ障害に関するインターネット上の言説を整理しています。

境界性パーソナリティ障害における「治る」とは

今回は境界性パーソナリティ障害を改善しようとしている人についての私見を書いていきます。境界性パーソナリティ障害かどうかの医学的診断を受けていない方や、改善を特に目指していない方については対象としておらず、特定の誰かについて書いた文章でもありません。

境界性パーソナリティ障害における「治る」とは

そもそも、境界性パーソナリティ障害が「治る」とは何を指すのでしょうか。

黒田章史著「治療者と家族のための境界性パーソナリティ障害治療ガイド」によれば、境界性パーソナリティ障害(BPD)を治療するとは、「深刻な社会的機能不全を改善すること」が目的です。

治療者と家族のための 境界性パーソナリティ障害治療ガイド

治療者と家族のための 境界性パーソナリティ障害治療ガイド

 

従来は、例えば不安や躁鬱、暴力などの症状を「軽減する」ということが境界性パーソナリティ障害の治療とされてきました。しかし、「症状の軽減」を達成するだけでは、患者本人は社会に生きる人間として自立できるかどうか分かりません。単に刺激の少ない環境、言ってしまえば「引きこもり」になってしまえば、社会の誰とも接することがないわけです。社会の誰とも接しなければ、傷つくこともないわけです。
ただ、社会の誰とも接しないと、それはそれで寂しくなってしまうのがBPDの特徴ではあるので、BPD患者はそのはざまで苦しむことになります。

しかし、ここが重要なところなのですが、BPD患者を隔離した状況にしておけば、苦しむのはBPD患者だけで済むのです。誰かが巻き込まれてしまうことがない。だからこそ、社会に出て苦しむよりはむしろ、社会に出ないで苦しむほうが社会にとっては良いことのように捉えてしまう人も多いのが現実です。賢明な読者の方ならお分かりの通り、これは単に「社会が現実逃避をしている」というだけで、何の問題解決にもなっていない、ということがわかるでしょう。単に今の社会に合わない弱者をとにかく振り落として、スピードを落とさず進む特急電車と同じです。少し社会の方からも、歩み寄っていく必要があるでしょう。

話を戻しましょう。したがって、境界性パーソナリティ障害を持つ方にとって重要な「治る」ということの定義は、私自身は、先にあげた「深刻な社会的機能不全の改善」―すなわち、「社会で周りの人とどうにかこうにかうまくやっていき、落ち込んでしまったりすることはあるのだけど、なんとか自分の生きる歓びを自分で見出し、人間らしく社会的・経済的・精神的に自立した生活が営めること」という程度まで持っていくこと、であると思っています。

「治る」為に重要なこと

「治る」というよりは、表現としては「改善する」のほうが正確かもしれません。いずれにしても、境界性パーソナリティ障害を克服し、社会に出ていくことは、大変かもしれませんがそれだけ価値のあることです。
このために重要な事は何でしょうか。それは、まずは「気づく」ということです。あなたの苦しみの原因に気づき、その治療に向かうこと。あなたが人とうまく関係性を築けないのはなぜなのか。あなたはどうしてそんなに繊細なのか。もし治したいのなら、決して楽な道ではないかもしれません。しかし、いずれにしても気づくことが改善の第一歩なのです。そして、適切な医療機関に、できればご家族やパートナーの方と一緒に相談することです。ご家族の方やパートナーの方は、いわゆる救済者幻想―自分の力でなんとかなる、と思うことを止め、改善の実績のある医師に相談することが重要と考えています。

この視点に関連して、次回は「悪循環」「正当化」というキーワードで、境界性パーソナリティ障害がなぜ治りにくいのかということについて書いていきたいと思います。